夢を叶えた後にくるもの
新聞の記事にもなったし
本も出してもらえたし
銀座で個展じゃないけど絵も出品できた
だけどそれを叶えた後どうなったかといえば
人生は何も変わらなかった
それぞれは嬉しかったのは確かだ
だけど
本を出したからといって勝手に売れるわけでもなかったし
銀座で展示をしても
高名な批評家にであったり
雑誌に掲載されるチャンスに出会えたわけでもなかったし
だから本当は
そういったことの後に来るものを
自分は求めていたんだなぁと想う
ブログを始めたばかりの頃
毎日のようにアクセスして
その人のブログに触れてるだけでしあわせな時間を過ごせた
その間、
絵を描く事はすっかりお留守になりでも私は満足していた
本当は人と交流できたら
なにも私は要らないのかもしれない
絵だって交流の1手段でしかない
毎日の殆どを自分の部屋の中で過ごす私にはネットという窓のそとに
交流できる人さえいたらいいのかもしれない
・・・それではまるで廃人と同じなんだけど(^^;;;
絵は
MoMaで展示したいというのがあったけど
いってみれば公立の美術館でのチケットを発売するような展覧会を出来たらと想っていたけれど
最近、
銀座で展示した後は
そう言う夢もあまりこころの中で大きさをしめなくなった
なんでかな?
銀座でこの結果だったんだからという諦めかもしれない
人生を知るおとなになると
夢もしぼんでいくというけど
私は
次に何を夢見たらいいのかずっと夢を探している
久しぶりに作り直した宝地図は
殆どが空白で何を貼ったらいいのかわからないでそのままにしてある
夢を叶えてもそれがしあわせを運んでくるわけではないのが解ったのは
その夢そのものではなく夢が示していた「結果」くるものを
自分が求めていたからというのに気がついた
毎日をすごす日々の充実。
それが欲しいものだ
例えパソコンの中だけでも得られたしあわせがあった
わたしはそれで
幸せだった
本当は
人を愛する事が
人生の幸せなのかもしれない
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